5月22日から始まったバイデン・アメリカ大統領の日本訪問は、前段の韓国訪問に引き続き、まさに中国包囲網形成のための旅であった。
23日に行われた日米首脳会談の共同声明では両首脳は、東シナ海と南シナ海における中国の「一方的な現状変更の試み」や「中国の不法な海洋権益に関する主張」に対し明確に反対の姿勢を示し、中国に対する抑止力の強化に合意した。その一方バイデン大統領は、15カ国参加のインド太平洋地域の経済枠組み(IPEF)の発足を宣言し、中国を排除した新たな経済枠組みの構築に着手した。
翌日の25日に開かれたクアッド(QUAD:日米豪印戦略対話)首脳会議はまた、バイデン大統領の主導下で中国を念頭に「現状変更する一方的な行動に強く反対する」との共同声明を発表し、「東・南シナ海での海洋秩序への挑戦に対抗する」姿勢を打ち出した。
ある意味では、中国こそは東京で開かれた一連の会談・会議の「不在の主役」であろうが、その中では、中国にとってもっとも重大な意味を持った出来事はすなわち23日、日米首脳の共同記者会見でバイデン大統領が台湾防衛への軍事関与を明言したことである。
バイデン大統領がこのような意思表明を行なったのは、これで3度目のことである。アメリカ政府はその都度、「アメリカの対台湾政策に変更なし」と釈明して一応の「軌道修正」を図っていたが、今回の場合、日米首脳共同記者会見という公式の場で、そして世界が注目する中で、アメリカ大統領がはっきりと台湾防備への軍事関与に言及したことの重みは半端ではない。
鳴りをひそめる「戦狼」中国メディア
この発言は直ちに、その日の一番のビッグニュースとして世界中を駆け回った。
翌日の日本各紙の朝刊でもこの重大発言が紙面を大きく飾った。政治的スタンスが正反対の朝日新聞と産経新聞、そして政治的に中立(? )の日本経済新聞の3紙が揃って1面トップでバイデン発言を大きく取り上げ、「米大統領、“台湾防衛に関与”」(産経)、「台湾防衛、軍事関与を明言」(朝日)、「台湾有事に軍事関与」(日経)と伝えているのは印象的である。
3紙を含めた日本の各紙はやはり、このバイデン発言の重大さが分かっているからである。
しかし日本のマスコミの反応とは対照的に、本来、前述のバイデン発言に最も敏感的に、最も激しく反応しなければならない中国の国内メデイアは意外に静かになっていて、あるいは単なる無反応だったのである。
例えばバイデン発言の翌日の24日の人民日報では、第1面から第20面まで、日米首脳会談の話やバイデン大統領の重大発言を取り上げる記事は1つもないし、それに言及した論評や論説の類いものも一切ない。
その日の人民日報の17面と18面は国際ニュースを取り上げる「国際面」となっているが、そこにもやはり、日米首脳会談とバイデン発言関連の話はいっさい出ていない。あたかも、衝撃なバイデン発言は最初から存在していなかったかのような紙面づくりである。
人民日報傘下の国際ニュース専門紙の環球時報はさすがに、バイデン発言に対する中国外務省報道官の反応を紹介する形でこの話を取り上げたが、ここで槍玉にされているのは実は、「台湾防備への軍事関与」というバイデン発言ではなく、「中国が武力で台湾を奪取することに同意しない」というバイデン大統領の発言である。
言ってみれば、バイデン発言に反発して見せながらも、そのもっとも重大な意味を持つ「軍事関与発言」をあえて避けて通る、という奇妙な取り扱い方である。
バイデン発言に対する中国外務省の反応に関しては、確かに、発言の飛び出た当日の23日、中国外務省の汪文斌報道官は恒例の記者会見で、「強烈な不満と断固とした反対」を表明した。しかし、外務省を含めた中国政府の公式反応はこれきりであってそれ以外に何も出ていない。
中国政府は平素より、台湾問題こそ中国の一番の核心的利益であって台湾に対するいかなる「内政干渉」も許せないとの強い姿勢を示しているが、「内政干渉」どころか台湾防備への軍事関与にまで踏み込んだバイデン大統領の重大発言に対して、これだけの反応に留まったのはむしろ異例にして意外。驚くべきほどの「大人しさ」を見せているのである。
ちなみに去年12月1日、日本の安倍晋三元首相は、台湾のシンクタンクが主催するフォーラムで「台湾有事はすなわち日本有事」と発言したとき、中国外務省は当日の晩、間髪も入れずにして日本の垂秀夫駐中国大使を呼び出して厳重に抗議した。
その時の安倍氏はすでに現役の首相ではなく単なる一国会議員。そして「台湾有事はすなわち日本有事」という発言は日本の台湾有事に対する「軍事関与」を意味するものでもない。にもかかわらず、中国政府は日本の駐中国大使を呼び出して厳重な抗議を行った。
それに比べると、「軍事関与」を明言したバイデン発言に対する中国政府の対応はまさに「生温い」の一言に尽きるが、問題は、本来なら中国側が最も激しく反応しなければならないバイデン発言に対し、今の習近平政権は一体どうして、「弱腰」とも捉えられるこのような対応をしたのかである。
この答えは実は、習近平国家主席自身が出してくれた。
5月25日、すなわち「軍事関与」のバイデン発言からの2日後、人民日報は1面トップで、習主席がアメリカ友人に宛てた1通の手紙を紹介する記事を掲載した。この友人とは、習主席が1985年、アメリカのアイオワ州でホームステイした家庭の女主人のサラ・ランディ(Sarah Randy)さんである。人民日報の記事によると、ランディさんが最近、習主席に送った手紙への返信だという。
そして習主席は手紙の中でこう述べたという。
「中米両国人民は偉大なる人民だ。人民の友好は貴重な財産であって、両国関係発展の重要なる礎である。中国人民は引き続き、アメリカ人民と共に友好交流と協力を進め、両国人民の福祉を増進していくことを願う」。
人民日報の紙面で習主席から発せられたこのよう言葉に目を通した時、筆者の私は狐に包まれる思いとなった。中国の歴代指導者の中で誰よりも「反米」であるはずの習主席は「中米人民の友好」云々を語るのは実に新鮮にして意外であるが、さらに驚いたのは、この手紙の内容が人民日報で発表されたことのタイミングである。
そう、バイデン大統領が日本の東京で中国包囲網の構築に没頭していたその直後に、そしてバイデン大統領の口から「台湾防衛の軍事関与」という、中国にとって我慢の限界を超えたはずの重大発言が飛び出たその直後に、習近平政権は強く反発することもせず、むしろ逆に、習主席は自ら、ランディさんへの返信の手紙を利用して「アメリカ人民」に対する友好の意味を示し、間接的にはアメリカ政府に対する関係改善のラブコールを送っているのである。
これは一体どういうことなのか。捉えようによってそれは、世界最強の軍事大国・アメリカの大統領が中国包囲網を固めた上で「台湾防備に軍事的に関与するぞ」と宣言したことに対し、習近平政権と習主席自身は衝撃のあまりにもの大きさに呆然とした後に腰が砕けて、姿勢を低くしてアメリカとの関係改善を模索する方向へ転換したのではないのかと受け取ることが出来る。
こう考えれば、共産党宣伝部管轄下の人民日報や環球時報が、できるだけバイデン発言に触れないようにしていることの意味も、中国政府がこの重大発言に対して強い反応を示さなかったことの理由も分かるであろう。
最高指導者の習主席は腰が砕けた以上、普段では対外姿勢の強硬さと激しさで知られる環球時報や、喧嘩腰の「戦狼外交」で有名な中国外交部は一斉に力が抜けて萎んでしまうのである。
その一方、中国はその矛先を、アメリカと緊密連携して中国包囲網の構築に尽力している日本に向けてくる素振りを見せている。
中国外務省の発表によると、5月24日、中国外務省の劉勁松アジア局長が在中国日本大使館の志水史雄特命全権公使と緊急に会談し、日米首脳会談やクアッド首脳会議に関し、「日本側の誤った言行に厳正な申し入れを行い、強烈な不満と深刻な懸念を表明した」という。
前述のように、バイデン大統領の「軍事関与」発言に対し、中国政府は外務省報道官の反発を持ってことを済ませたが、「日本側の誤った言行」に対してはそれよりも厳しい対応をとった。しかも。グアット首脳会談に参加したのは日本だけではないのに、どういうわけか日本だけに「厳正な申し入れ」を行なった。
そして24日当日、中国軍機はロシア軍機と一緒に日本周辺を共同飛行して軍事的挑発を行ったことは周知の通りである。
アメリカに弱腰となった習政権は今後、日本に対しては強い姿勢に出て圧力をかけることによって中国包囲網の突破を図る方策に転じるかもしれない。
習近平政権の対立動向にはこれからも要注意であろう。