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小室眞子さん、圭さんが会見「金銭問題も説明」…小室圭さん「私は眞子さんを愛しています」k

 婚姻届を提出し、皇室を離れた小室眞子さんは26日、東京都内のホテルで夫の圭さんとそろって記者会見に臨んだ。



眞子さんは薄い水色のワンピース姿。圭さんはスーツに濃紺のネクタイをつけていた。会場に入ると声を合わせて「よろしくお願いします」とあいさつした。


2人は、見つめ合い、声をそろえて「よろしくお願い申し上げます」と記者団にあいさつした後に着席。眞子さんは「私と圭さんの結婚に様々な考え方があることは承知しております。圭さんはかけがえのない存在。結婚は、自分たちの心を大切に守りながら生きていくために、必要な選択でした」と語りだした。



圭さんは冒頭、「私は眞子さんを愛しています」と述べた。結婚に関し、「ご迷惑をかけてしまった人には申し訳ないと思っている」とした。


小室家の金銭トラブルにも触れ、「解決に向けてできる限り対応したい」と述べた。一方、「誹謗(ひぼう)中傷が続いたことで、眞子さんが心身に不調を来したことを悲しく思う」と話した。圭さんの母親についても「仕事を辞めざるを得ない事態にまで追い込まれましたし、身の危険を感じながら過ごしています」と述べた。


今後については「眞子さんと温かい家庭を築いていきたい」と希望を語った。その上で「(眞子さんを)これからもできる限りのことをしてお支えしたい」とし、「幸せな時もそうでない時も寄り添い合える、かけがえのない存在であり続けたい」と語った。




眞子さんは、母親の元婚約者への対応や圭さんの留学の前倒しは自らが依頼したものと説明。「私が公に発言する機会が限られ、そのために生まれてしまった誤解もあった。誤った情報がなぜか間違いのない事実であるかのように取り上げられ、いわれのない物語として広がっていくことに、恐怖心を覚え、つらく悲しい思いをしました」と話した。


圭さんは、詳しい経緯は4月に公表した通りとした上で、母親が精神的な不調を抱えているといい、「解決に向けて、私ができる限り対応したい。解決金を受け取っていただきたい気持ちはかわっていない」と話した。その上で、「誹謗中傷が続き、眞子さんが心身に不調をきたしたことを悲しく思います。母も身の危険を感じながら過ごしています」と訴えた。



交互に話すスタイルで進んだ会見の最後。眞子さんは「心を守りながら生きることに困難を感じ傷ついている方が、たくさんいらっしゃると思います。周囲の人のあたたかい助けや支えによって、より多くの人が、心を大切に守りながら生きていける社会となることを、心から願っております」と締めくくった。


その後、宮内記者会や日本雑誌協会などが用意した質問への回答を記者側に渡し、退席した。


会見は質疑応答も行う予定だったが、宮内庁によると、質問の中に「誤った情報が事実であるかのような印象を与えかねない」ものが含まれていることに眞子さんが強い衝撃を受けたことから、所感を述べるだけにとどめたという。



これまで、女性皇族が結婚する際は結婚式直後にその会場で会見も行われたが、今回は結婚式や行事をしないため、婚姻届提出後の会見となった。会場費用に公費は使われず、小室夫妻が負担しているという。


眞子さんと小室さんの婚姻届は、26日午前に宮内庁職員が代理で提出した。受理によって眞子さんは民間人となり、秋篠宮邸を離れた。今後、ふたりは準備が整い次第米国で新生活を始める方針。


結婚して民間人となった気持ちを問われた眞子さんは、「皇室を離れてから間がありません。数時間でどのような気持ちかということについてお答えするのはなかなか難しいです」と回答した。「皇族の立場はご自身にとってどういうものだったか」という問いには、「たくさんの人から助けられ、見守られ、支えられ、温かい気持ちをいただくことで成り立っているものでした」と振り返った。「特に思い出に残っていることは」という質問には、「一つ一つの思い出が宝物で、特定の思い出を選ぶことはできそうにありません」とした。



どのような家庭を築きたいかとの質問には、眞子さんが「心穏やかに過ごすことのできる環境で、温かい家庭を築いていきたい」、小室さんは「眞子さんが居心地が良いと思えるような環境を作れるよう精進したいと思います」とした。


将来の期待や不安などについての質問には、眞子さんは「穏やかな気持ちで生活できることを期待しております」と答えた上で、「一番大きな不安を挙げるのであれば」として「私や私の家族、圭さんや圭さんのご家族に対する誹謗(ひぼう)中傷がこれからも続くのではないかということ」と答えた。

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客の非常識行動に二郎系店主が激怒「あまりにひどい」…どんな客なのだろうかra

 持ち込んだ弁当を食べ、注文したのを残したとして、千葉県習志野市内のラーメン店がツイッターで「あまりにひどい」と怒っている。



店内で弁当を食べるという前代未聞のことをしたのは、どんな客なのだろうか。店主に詳しい話を聞いた。


この店は、京成本線・京成津田沼駅前の商店街にあり、「夢を語れ千葉」の店名で2021年9月11日にオープンしたばかりだ。ラーメン二郎系のボリューム感のあるメニューが売りで、順天堂大学3年の深川智行さんが店主として、学業と両立させている。



店の公式ツイッターが10月23日に深川さんの名前で投稿したところによると、この客は同日、弁当を店内に持ち込んで食べ、注文したラーメンを残した。これに対し、店主の深川さんは、「僕は毎日一生懸命ラーメン作っています。真剣に食べたけど無理だったら何も言いません。あまりにもひどすぎます」と嘆いた。


そのうえで、「今後、持ち込みは『調味料・レンゲ・ドリンク』のみとさせていただきます」と付け加えた。同店では、好みは人それぞれ違うため、自分好みにアレンジしてもらおうと、調味料は卓上には置かず持ち込み可としている。


投稿は2000件以上リツイートされ、店に同情する声が相次いでいる。客に対しては、「何故わざわざ弁当を?! 」「非常識過ぎる」と疑問を呈する向きが多かった。



店主の深川さんが25日にJ-CASTニュースの取材に明かしたところでは、この客は1人で来て、「汁なしラーメン」を注文した。店内で弁当を食べているところは見なかったが、「ニンニク入れますか?」と厨房から聞いたとき、客が口にたくさん何かしらの食材を含み、食べ物を咀嚼しながら答えるのを確認した。深川さんがラーメンを持って行ったとき、この客が座るテーブルの上にビニールに入った弁当箱があったという。


「残すのは失礼だ」と伝えると、「すみません」と言って去る


この客は、もう弁当を食べた後で後は捨てるだけだったとみられ、夢を語れ千葉店主の深川さんは、「食べたゴミを当店のゴミ箱に捨て店を出たため注意しました」と明かした。買い物の帰りの場合もあるかもしれないため、弁当の持ち込み自体については何も言わないとしているが、今回は、店内で食べて捨てたとみられるため注意した。



ラーメンを食べ残したことに対しては、深川さんが「お弁当を持ち込み店内で食べてラーメンを残すのは失礼だと思いますよ」と伝えると、この客は、「すみません」と言っただけで店を後にした。


店を出るときに注意したため、客がなぜラーメンを頼んだのに店内で弁当を食べていたのか、本人に理由を聞く時間がなかったという。


ただ、こうした客は例外だと、深川さんは説明した。


「来店されるお客さんはとてもマナーのいい人が多いです。いただきます、ありがとうございました、ごちそうさまをスタッフに言ってくださる方が9割方です。僕たちも全力でいらっしゃいませ、ありがとうございましたとお客さんに伝えています」



コレはあまりにも非常識極まりなさ過ぎて、じゃあそこまでの中途半端な食の仕方しかできないのなら、テイクアウトするなりして自分の家でのんびりのびのび食べればいい話だし、そしたら誰も文句は言わないと思うけどね。それを人前でやるのはハッキリ言って人としてどうなのか?とは俺も正直思う。

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1400円ステーキ……!最上もが、奮発した「Uber Eats」の対応に怒り爆発

 タレントの最上もがさんが10月23日にブログを更新。「どうしても抑えきれず」と、最近見舞われたというUber Eats(ウーバーイーツ)のつたない対応に不満を爆発させています。



「自分ご褒美にウーバーイーツで奮発してご飯頼もう!」とハラミステーキを注文したという最上さん。しかし、配達時間を大幅にオーバーした上、その間連絡を取ることもできなかったとのことです。


1時間以上遅れて到着したステーキですが、「写真と違いすぎてわろえない。もちろん冷めきっていた」と失望した調子でコメント。掲載された写真では、ちょっとした量のお肉があまり大きくない器に盛られた野菜へ埋もれるようにして点在しており、注文前と後で目にしたメニューのギャップにも落胆したもようです。



「置き配にしてるのにピンポンされた」「これが1400円…という絶望」とUber Eatsへの不満を抑えきれず吐露。「色々逆算して過ごしてる身としては くそ…が…!!!! もう頼まねえよ!!!!」と怒り交じりにコメントしていました。


ままならない「事故」に見舞われた上、購入したヒーターが不良品だったと漏らし、多忙な中で積み重なった不運にイライラが収まらなくなった最上さん。気分転換にどら焼きを一口食べるものの、冷静さを取り戻したところで「イライラしてる自分に悲しくなりました」と落ち込んでしまい、「でも抱っこしてたら少し落ち着いてきたよ…」と最終的には娘に癒やされたと明かしていました。



ファンからは「色々考えながら育児して、やっとご褒美のご飯なのに辛すぎる」「時間をかけた割に何もできなかった時のイライラ! わかります!!」「これはお辛いですね、夕方って赤ちゃんもグズグズだしお母さんも疲れがピークだし、余計イライラしちゃいますね!」と、シングルマザーとして子育てに専心する最上さんのイライラに共感が集まっています。


話が逸れるけど先日、ボロボロの服で頭も洗っていないような人が、歩きでウーバーのBOXを背負っていたので、絶対頼みたくないと思ってます。一部かもしれませんが、食品に対する衛生も分からない人が多いのではないかと思います。


去年、ウーバーで嫌な経験をしてから頼むのやめました。



配達員が外国人で道を間違えて品物が届かず。


電話で喋って道案内したけど、カタコトの日本語でまともに会話が成立せず「ワカラナイ〜」と言われて勝手に注文をキャンセルされた。


その事をウーバーの会社に電話で伝えクレームを入れたら「今回は特別に返金しますが、今後はこういうことの無いようにお願いします!」とこちらのミスのように注意されたので、納得できず更にクレームを入れたら別の担当者が謝罪して来たけど、なんか軽い感じだった。

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ZOZO優勝の松山英樹マスターズの次のタイトル…「欲張りな、ばあちゃん」へ捧げた

 男子ゴルフの最新世界ランキングが24日付で発表され、同日まで千葉・アコーディア習志野CCで行われたZOZOチャンピオンシップで米ツアー通算7勝目を挙げた松山英樹は19位から12位に上がった。



2018年7月15日付のランキングで12位から16位へ下がった後では自己最高位。100位以内の日本勢は3人。金谷拓実(ヨギボー)は76位から68位へ浮上し、木下稜介(ハートランド)は72位から81位へと下がった。


松山英樹が見向きもしない“日本一決定戦”の価値 初日首位の岩田は無傷の8バーディー「63」


松山は「日本人で上位にいるのは僕しかいない。プレッシャーはあったけど、ギャラリーの応援を力に変えることができたのが大きい」



大会2日目から首位キープ。この日は折り返して10番バーディーの、同組キャメロン・トリンゲールに一時、首位の座を明け渡したが、11番バーディーで再び首位に並んだ。その後もバーディーを積み重ねて、最終18番はイーグル。終わってみれば2位に5打差をつける圧勝劇でマスターズチャンプの貫禄を見せつけた。


ZOZOは米ツアーの日本開催大会。今年は米ツアープロの多くが欠場し、国内ツアーから繰り上がりを含めて日本人選手が19人も出場した。それでも松山を除くトップ10入りは7位の金谷拓実ひとりだけ。


国内賞金ランキング1位の木下稜介は通算9オーバー66位、同3位の星野陸也は通算2オーバー39位、同5位の稲森佑貴は通算1オーバー35位。日本勢は移動疲れや時差ボケのない国内開催でありながら、タフなコース設定にお手上げ状態だったのがわかる。



評論家・菅野徳雄氏は「トップクラスの米ツアープロが不在にもかかわらず、世界との実力差をまざまざと見せつけられた。何より一打に対する執着心というか、重みが日米で大きく違う。今大会では観客にも緊張が伝わる気迫のこもったプレーが随所で見られたが、日本ツアーでは、まずない。そこそこ賞金を稼いでよしとするサラリーマン感覚のプロが多い日本ツアーと、勝つか負けるかで人生が大きく変わる米ツアープロの必死さの違いが出た大会だった」


大会のスケールも大きく違う。国内での最高優勝賞金額は日本オープンの4200万円。だが、勝った松山は1億9700万円を手にした。ざっと4倍以上の開きがある。


期間中は1日5000人の入場制限を設けたが、連日多くの観客が詰めかけた。しかも1日券は木・金曜が1万8500円、土曜2万1500円、日曜2万5000円と高額にもかかわらず飛ぶように売れた。日本ツアーでは考えられない金額であり、チケット収入だけで3億円を超える。さらに、高額の5万8000円プレミアム入場券が完売したという。



初日から大会を盛り上げる松山のプレーは、高いカネを払ってでも見たいというファンの心理がよくわかる。


会場は米ツアープロには珍しい2グリーン制だが、PGAツアーは5番パー3のグリーンを交互に使うなど、柔軟な発想もあった。


菅野氏は「日本のようにグリーンに乗ったらバーディーという安易な設定ではなく、グリーンのスピードや硬さ、ピン位置が念入りに計算されていた。試合をリードしても守りに入ったら勝てず、ピンを最後まで攻めさせる。観客さえもハラハラさせる仕様だった。スタッフのレベルも日米では大きく違うのがわかる」



米ツアーのすごさと同時に、日本ツアーのお粗末さを露呈する大会だった。


「欲張りな、ばあちゃん」へ松山英樹が捧げたマスターズの次のタイトル


ロープサイドで列をなした母国のファン、遠征をともにするサポートスタッフ、そして、彼にはもうひとり「ZOZOチャンピオンシップ」のタイトルを捧げたかった人がいた。


9月初旬、PGAツアーの昨シーズンになるプレーオフ最終戦「ツアー選手権」を終えた直後、松山英樹のもとには悲報が届いた。愛媛県内に住む母方の祖母が急死したという。89歳だった。



中学1年の終わりまで愛媛で育った松山は、近所に住む祖母にも幼少期から大いに面倒を見てもらった。「小さいころから自分のゴルフを応援してくれていた。実家に帰るたびに『体に気を付けなさい』といつも気にしてくれて」。高知の明徳義塾中高、宮城・東北福祉大に進学、プロ入りしてからも、帰省すれば元気に顔を合わせていただけに「とても現実のことではないような気がした」と呆然とした。


「マスターズ」を制した4月に帰国した際、松山は夫人や愛娘、両親をはじめとした家族みんなにグリーンジャケットに袖を通してもらった。もちろん、祖母にも。


「グリーンジャケットを着せられたのは良かった。でも、姉の話では『私はまだまだ、こんなもんじゃ満足せんよ。だから長生きするんだ』って言っていたそう。『欲張りな、ばあちゃんやなあ』と思っていたのに…」



訃報の翌週、「フォーティネット選手権」で始まった今季は、「アメリカでしっかり練習をして、早く勝つことが恩返しになると考えた」という決意を持って迎えた9年目のシーズンだった。圧巻のイーグルフィニッシュで決めた「マスターズ」の次の勝利。これまで披露してきたどのガッツポーズよりも、突き上げた拳は天高かった。

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「600万円が1億4500万円」粗品、菊花賞の予想が見事的中…悔しさをこらえきれずに「うわぁぁぁぁ!」と叫ん

 お笑いコンビ「霜降り明星」の粗品が24日、自身のYouTubeチャンネルを更新。「第82回菊花賞」の予想が見事的中するも、まさかの事実を告白する場面があった。



前日、同チャンネルに「生涯収支マイナス1億円君の菊花賞予想」というタイトルで動画をアップしていた粗品。「僕の本命馬は恐らく来ないでしょう」と言いながらも「タイトルホルダー」をズバリ。「血統的に3000メートル行けるんじゃないかと。スタートして良いところの番手を先行していったら、最後までしぶとく残るのではないか」と予想し、馬連「3ー2・5・9・14・17・18」に「もし買うなら1点600万円くらいですかね」と買い目を発表していた。


そして、馬連「3―18」が見事的中しコメント欄は「まさかの的中させた!」「ほんとうに当たってるやん!!!!」「3-18の馬連でガチで600万賭けてたら1億越え」とお祭り状態に。しかし、満を持してアップされた動画で、なぜか粗品は浮かない表情。「予想が的中しました。でも、買えてません…きのうは本気で予想したんですけど、いかんせん生涯収支マイナス1億円君なんでね。頭のどこかで『また、負けるんやろうな』って。レース中はラジオの収録をしてまして、そのときに肺がズキッって痛む瞬間があったんですよ。パッと時計を見たら15時44分でした、恐らくその瞬間にタイトルホルダーが1位で入線したのかなと」と、驚きの事実を明かした。



「きのうの動画で、冗談半分で『1点600万円』って言っていて。もし買ってたら、払い戻しが1億4500万円だということで…すごいパニックになって、お母さんに電話しましたね。競馬はですね、立派なお札に4本足が…ちがう、立派なスポーツだと思うのでね。これからもね、1億円を取り返しにいきたいと思っていますので、応援よろしくお願いします」と頭を下げると、悔しさをこらえきれずに「うわぁぁぁぁ!」と叫んで、イスから転げ落ちていた。


締め切られたら当たる、間に合ったら当たらない、もう何回も、何十回も、競馬あるあるですね。


買わない時に限って予想が当たるのはあるあるですよね!でもそのショックさもよく分かります!!



いつも締め切りぎりぎりに買うのでたまに間に合わないことがある、けどそういう時に限って買わなくてよかったということが多い。逆に間に合って買って外れることもある。


買わないレースで当たっていて買っとけばよかったとかいうこともよくある。ほんとうに不思議なものです。

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スケートアメリカVで宇野昌磨が2位、佐藤駿は4位…ジョウが涙!3年8カ月ぶりの敗戦

 現地時間10月23日、グランプリ(GP)シリーズ第1戦アメリカ大会において、男子フリースケーティング(FS)が行なわれた。



89・07点でSPを2位で終えた宇野昌磨は、10番滑走で登場。情熱的な『ボレロ』にのせ、4回転ジャンプ5本を含む構成に臨んだ。


冒頭ジャンプの4回転ループでは手をつき、サルコーは着氷が乱れた。その後の4回転+2回転トゥループを着氷し、トリプルアクセルは耐えた。4回転フリップもやや乱れたが、4回転+2回転トゥループは難なく降り、乱れながらもトリプルアクセル+オイラー+3回転フリップをこなし、演技を終えた。FS181・61点、総合270・68点としている。


また、80.52点でSP5位につけた17歳・佐藤駿は宇野よりも早い7番滑走で登場。予定していた4回転ジャンプ4本のうちトゥループ2本(コンビネーション含む)を成功させたが、冒頭のルッツは着氷が乱れ、フリップは転倒。しかし、1本目のトリプルアクセルや3回転のコンビネーションジャンプなどを成功させ、FS166・53点、総合247・05点を得た。



そして大会5連覇がかかる米国のネイサン・チェンは、82・89点でSP4位スタートと出遅れ、フリーで4回転ジャンプ6本という予定構成で逆転に懸けた。


冒頭4回転ループを着氷、4回転ルッツは2回転ルッツとなったが、続く4回転フリップ+3回転トゥループは成功。その後に予定していた4回転サルコーも2回転となったが、トリプルアクセル、4回転トゥループ+オイラー+2回転フリップを着氷、ラストの4回転+3回転トゥループは耐えながら決めた。FS186・48点、総合269・37点となった。


結果、優勝は5本の4回転ジャンプ含むプログラムを滑り切り、FS198・13点、総合295・56点と高得点をたたき出した米国のヴィンセント・ジョウ、2位に宇野、3位にネイサン・チェン。佐藤は4位で終えている。



メダリスト会見では、長く王座についてきたことが重圧だったのか質問された。これには「別にこれで破滅するわけではない。決してエンディングでもないよ。いつかは負ける。僕は2人(ジョウと宇野)をとても誇りに思う。何が起こったのか見極めて結果を受け入れたい」と淡々と返した。


前日のSPではジャンプ3回のうち2本にミスが出て、まさかの4位。首位のジョウとは14・54点、2位の宇野とは6・18点差で「私も人間だ。自分に言い訳はしたくない」と猛省し、切り替えていた。


しかし、フリーも4回転のルッツとサルコーがともに2回転となるなど流れは変わらなかった。ただ、挑んだのは4回転5種6本の異次元構成。ループ、フリップ、トーループからの連続ジャンプは決めて意地を見せた。フリー186・48点、合計269・37点。自身が持つ世界記録335・30点には遠く及ばず、悔しそうな顔で、得点を待つ間も険しい表情のまま汗をぬぐっていた。



「昨日は、すぐには答えられてなかった。受け止めるのに時間が必要だった。自分の気持ちを言い当てる言葉も、なかなかすぐには見つからなかった。でも、大会に向けて気持ちを切り替えないといけないからそうしたんだよ」


5連覇中の全米選手権を含めれば国内外で13連勝中だったが、北京五輪シーズンの自身初戦で途切れる波乱が待っていた。だが、この4回転5種6本が完成した時には世界最高の更新も可能。あらためて手がつけられない存在になる脅威は示し「次に向けて進む。今の僕が考えていることはそれだけだ」と会見の壇上で目を光らせた。

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体操・村上茉愛、“現役最後の演技” …母への感謝の気持ちを込めて、最後の舞台に挑むmai

 「(今大会が)最後になるかもしれない。体操人生が21年目なんですけど、20年間のすべての思いを入れられたら」



そう語るのは、東京五輪・体操種目別ゆかで3位となり、日本女子史上初となる個人種目でのメダルを獲得した村上茉愛だ。


本日10月24日(日)の世界体操・種目別決勝で、現役最後の舞台を迎える。


村上の心にあるのは、小さい頃から応援し、支えてきてくれた母・英子さんへの感謝の想い。


村上選手は「やっぱり母に近くで演技を見てもらいたいっていう思いが、自分の結果よりもすごく強かった」


日本のエース・村上茉愛の体操人生は、母とともに歩んできたものだった。



1996年、神奈川県の体操一家に生まれ、物心つく頃から競技をはじめた村上。


小学6年生でシニアの選手でも成功させるのが難しいH難度の大技「シリバス」を成功。中学2年生の頃には全国大会で優勝し、幼い頃からその才能は際立っていた。


そんな娘の才能に、母・英子さんは早くから気づいていたという。


英子さんは「オムツをかえたりしていた生後何か月かのときに、股関節が柔らかいなと。生まれもった素質があるなってそのときは思いました」



村上のトレードマークといえばショートカット。その髪型を整えているのも、美容師である英子さんだ。


2017年、世界体操の直前には、大一番に臨む娘への想いをこんな風に明かしていた。


英子さんは「私はとくにかく悔いのないようにしてくれたらいい。何もできないもん、お母さんは。応援するしか…」



そして迎えた世界体操の本番。村上は種目別ゆかで日本女子63年ぶりとなる金メダルを獲得した。


会場で村上にひときわ大きな声援をおくっていたのは、大会が行われたカナダまで駆けつけていた英子さん。国内外問わず、ほとんどの大会で娘を見守ってきた。


しかし、2019年のNHK杯、村上をアクシデントが襲う。腰痛が悪化し、大会を棄権したのだ。



日常生活にも支障が出るほどの腰の痛みを抱え、この年は思うような演技ができなかった。2年連続メダルを獲得していた世界体操も、日本代表から落選。


さらに追い討ちをかけるように、コロナ禍で予定されていた大会が延期や中止となり、自粛により練習もできなかった。


「五輪出場」という目標を見失い、一時は「現役引退」まで考えた村上。そんなとき、支えになってくれたのも英子さんだった。


村上は「やっと少し復活してきたかなってときに自粛になって、『昔のような演技ができるわけないじゃん』っていう風に母に当たってしまった。(母は)とくに何も言うことなく『そうだよね』って優しく聞くだけ。聞いてもらってすごくスッキリした」



そばで見守ってくれた母のおかげで、また前を向くことができた。


苦難を乗り越え迎えた、東京五輪出場をかけた2021年のNHK杯。3年ぶりの出場となった村上は、得意のゆかをはじめ軒並み高得点をマーク。優勝という最高の結果で五輪への切符を手にした。


そしてたどり着いた東京五輪で、見事銅メダルを獲得。無観客のため母の声援はなかったが、選手村の外で待っていた英子さんと喜びを分かち合った。


英子さんは「茉愛ちゃんの何十年分の血と汗と涙がここに詰まっているんだ…」


首にかけられたメダルの重さに、娘のこれまでを想う英子さん。歴史的なメダル獲得の裏には、そんな母の支えと愛情があった。



母と歩んできた体操人生。現役最後の試合・世界体操を迎える村上は、ゆかの演技で「人生で最高の1分30秒」という目標を掲げている。


村上は「ここまでやらせてくれて『ありがとう』と思いながら演技ができたらいいかなと思います。最高の1分半にしたいと思います」


母への感謝の気持ちを込めて、最後の舞台に挑む。

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あいだ・しょうこの結婚や出産…早産で未熟児だった娘s

 高校卒業後にアイドルユニット「Wink」としてデビュー。「笑わないアイドル」として独特の存在感でナンバーワンヒットを連発してトップアイドルになった相田翔子さん。その後は、ソロとしての音楽活動のほか、バラエティー番組では「天然ボケ」として人気を集め、女優としても活動してきました。医師と結婚。小学4年生の女児の母親の役目もこなしています。相田翔子さんは結婚や出産ついて共有しています。



――バラエティー番組のMCや女優として活躍していましたが、2008年、38歳の時に医師とご結婚されました。義父は官僚出身で9期を務めた大物代議士、義母は往年の大女優司葉子さんという立派なご家庭ですね。芸能界から一転して、こうした名家の嫁というのは大変ではありませんでしたか。


日本の宝のようなご両親なので、嫁らしくしなきゃいけないと思って最初はすごく緊張していました。朝は早く起きてだしを取ってみそ汁を作ってとか。でも、実際は懐が大きいというか、朝は起きた人から好きな時間に順番にご飯を食べるという感じで、自由なんですよ。でも、結婚式は大変でした。来賓には、当時現職の麻生太郎総理大臣とか政治家や有力な方がたくさんいらっしゃって。私の母はすでに亡くなっていたので、いろいろなことを自分一人でやらなければいけなかったんです。



――お子さんは希望されていたんですか。


年齢が年齢ですから、私はすぐにでも欲しいと思っていたんですが、主人の方は世界を旅行するとか、2人の時間をもっと過ごしたいという考えでした。40歳になった時に、もう待てないと思って主人に理解してもらって、妊娠しました。


経過を診ていただいて、早めに入院して安静にしていたんですが、それでも33週、1か月半早く女の子が生まれました。1866グラムの未熟児。一か月保育器にいましたが、毎日毎日病院に通いました。なんて言うか、恋をしている気分で、寝ても覚めても赤ちゃんのことを思って。いとおしいですよね。母乳を届けて、抱っこして。先生からは「ここまで育っていると大丈夫だから」と言われていて、実際元気に育ってくれました。医療のおかげですね。



――育児はご苦労されましたか。


びっくりしました。眠れないですよね。夫の両親もすごく喜んで、夫の実家にベビーベッドを置かせてもらいました。抱っこしたまま、カクッとなって。ずっと泣かれるし、2、3時間おきに起きなきゃいけない。2週間ぐらいは、このトンネルをいつ抜けられるんだろうと思っていました。


――お仕事は続けたのですか。


3か月後には。スターダストレビューのコンサートに出演しました。仕事を減らしながらですが、2時間ドラマなどもやっていました。赤ちゃんをベビーシッターさんと一緒にロケ現場の鬼怒川温泉まで連れていったこともありました。



――そのお嬢さんも、9歳の小学4年生。どんなお子さんですか。


 天真らんまんでひょうきんで明るいですよ。目覚めてから寝るまで、しゃべっているか、歌っているか、踊っているか。でも、結構、人見知りで、人の前に出ると別人になるんです。私にそっくりですね。もともと持っているものを伸ばして、このまま突き進んでもらいたいです。


――お母さま(司葉子さん)もお孫さんはかわいいでしょうね。


母には思いがあるようです。踊りが好きだって聞くと、「バレリーナになったらどう? 送り迎えは全部私が担当するから」と言ってくれています。でも、娘の方は、「バレエは嫌、ヒップホップがいい」という調子です。母は娘に「大きくなったら、女子アナウンサーはどう?」「お医者さんもどうかな?」とか、いろいろ話をしていますね。



――ご主人の子育てについてのお考えはどうですか。


私以上にやれることは全部伸ばしてあげたいと思っているようです。「工作はすごくいいから」と、段ボールや木のかけらをネットで注文して、山のように届くんです。「僕もちいちゃいころ好きだった」と言って、片栗粉を大量に買ってきて、それを砂場代わりにして、上でミニカーを使って遊んだり、料理ごっこをやったり。主人は思い切り広げて、パラダイスにしています。そういう教育も大事だとは思うのですけど、片付けるのは私ですから。食器もおもちゃも粉だらけ。一個一個洗って、掃除機をかけて。主人は「将来は僕に感謝するよ」とご満悦ですが、私の人生ずっと片付けかなって思う気持ちもあります。


――新型コロナ禍の暮らしはどうしていますか。



本当に引きこもっていますけど、もともと家が好きなインドア派で、家の中で楽しめることをやっています。ただ、娘がずっと家にいてかわいそうなので、ゴルフの打ちっ放しなら、距離を開けてやれるし、家族でもできていいね、ということで一緒にやっています。以前は両親とよくゴルフに行っていたのですが、全くやらなくなって10年。娘のおかげで、久しぶりに打ちっ放しに行くようになりましたが、楽しいですね。


――今、一番好きなのはどんな時間ですか。


掃除をしてきれいに片付いたところで、冷えたワインを飲む。その瞬間が幸せですね。


――これからの人生にどんなことを思いますか。



昔から早く年取りたいなって思っていて、おばあちゃんになるのがすごく楽しみなんです。好きな小花柄のワンピースとかオーバーオールを着て、花を育てたり、日の当たるベランダでいすに座って日向ぼっこをしたり、お料理したり。年を取ったらそういう普通の生活を思い切り楽しめるんじゃないかな。今は子供中心でしっちゃかめっちゃかですけど。ただ、そうなった時には、あのしっちゃかめっちゃかだった時が一番充実していたと思うんだろうなぁ。ストレスを感じる時もありますけど、常にその時が最高と思えるように生きていたいですね。


あいだ・しょうこ、1970年生まれ。東京都出身。1988年、デュオ「Wink」でデビュー。翌年には「淋しい熱帯魚」で日本レコード大賞を受賞。96年、Winkの活動を停止。ソロで音楽活動を開始。99年には「世界ウルルン滞在記」(TBS系)のレギュラーMCになる。バラエティー番組に出演するほか、女優としてドラマや映画にも多数出演。音楽活動も行う。2008年、医師と結婚。12年に女児を出産した。

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瀬戸大也がプロ宣言…100m平泳ぎは泳法違反で失格

 競泳男子の瀬戸大也が、肖像権を自身で管理するプロスイマーとなることが23日、分かった。関係者が明かした。



競泳では北島康介、萩野公介(ブリヂストン)、渡辺一平(トヨタ自動車)に続き4人目。日本水連に預けていた肖像権の管理の除外認定を申請し、この日、正式承認された。これまで同水連の補助があった遠征や合宿などの費用が原則として自費になるが、自由に商業活動をすることができるようになる。


瀬戸は現在、ドーハで行われている短水路(25メートルプール)で争うワールドカップ(W杯)に出場中で、22日には男子200メートルバタフライを1分49秒76で制した。




残念だけど今更感が拭えないな。年齢も27歳、東京オリンピック無冠、不倫だし、社会的にスポンサーつくのかな。プロになるんだったら、東京オリンピック前で、不倫の前だったね。厳しいかもね。


リスクを負って、彼と契約する企業はどれだけあるの?


スポンサー会社名の入ったジャージが不祥事の映像と繋げられたんじゃたまらない。


プロ契約したいなら、襟を正した生活をしておくべきだったな。この若造は未だに世の中をなめているんじゃない。



その前に、瀬戸大也は100m平泳ぎは泳法違反で失格


決勝が行われ、男子で東京五輪代表の瀬戸大也は200メートル個人メドレーを1分52秒93で制し、今大会3冠を達成した。この日は200メートル平泳ぎにも出場。1着でフィニッシュしたが、泳法違反で失格となった。


2日間で5種目計10レースを終え、「最後は後味が悪い失格で終わっちゃったけど、何がいけなかったのかよく分からないけど、10レースしっかりとこなせたので良かった」と振り返った。



来週からはW杯に出場し、その後は米国を転々とするプランを考えているという。「ころころ環境が変わった方が飽きないし、一瞬一瞬を全力でやっていくのが自分のスタイル。競技の面では本能で戦っていった方が自分らしく、強い自分にまた戻ってこられると思う」と力を込めた。


きちんと、泳法違反の理由は確認しないと!仮にドルフィンが2回入ってたなら、練習中でも、やってたのでは?であれば、コーチは日頃の練習で何見ていたんだってことになるし、チームとしても、しっかり修正するべきかもしれないな。

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箱根予選会!名門・日大は排除されます…明治・中央・日体大など10校が予選会突破

 第98回東京箱根間往復大学駅伝競走の予選会が23日、東京都立川市の陸上自衛隊立川駐屯地内を周回するハーフマラソンのコースで行われた。箱根駅伝は関東学生陸上競技連盟主催、読売新聞社共催。



予選会は例年、陸上自衛隊立川駐屯地をスタート、立川市街地を回り、国営昭和記念公園ゴールのコースで行われているが、今回は新型コロナウイルス感染防止対策として、昨年に引き続き、無観客で陸上自衛隊立川駐屯地内の1周約2・6キロの滑走路を周回するコースで開催された。各校14人以内の登録選手から当日に12人以内が出走。


出場41校が上位10人のハーフマラソンの合計タイムで競い、上位10校が箱根駅伝本戦(来年1月2、3日)の出場権を獲得した。前回優勝の駒大はじめシード10校、予選会通過10校とオープン参加の関東学生連合の計21チームが新春の箱根路に臨む。明大、中大、日体大の常連校が上位を占め、駿河台大が8位で初出場を果たすなど10校が予選を突破。



前回、連続出場が18回で途切れた中央学院大は7位で返り咲きを果たした。本大会では予選会敗退校の記録上位者を中心に、オープン参加の関東学生連合チームを編成する。


無観客の静かな会場に響く成績発表のアナウンス。上位10校に「日本大学」の名は呼ばれず、落選が決定した。


正式発表を聞いた小川聡監督、山本起弘主将(4年)ら日大チームは、がっくりと肩を落とした。前回の予選会でチーム内2位(日本人トップ)で関東学生連合チームに選出された小坂友我(4年)、1万メートルでチーム3位の28分21秒52の自己ベストを持つ松岡竜矢(3年)が登録メンバーから外れたことも敗戦に大きく響いた。



箱根駅伝で歴代3位の優勝12回を誇る名門の日大は、昨年から迷走を続けた。昨年1月の箱根駅伝本戦で18位に終わり、6年連続でシード権を逃した。その結果を受け、昨年6月に若手の武者由幸監督が退任。関東学生陸上競技連盟の名誉会長で当時77歳の青葉昌幸監督が急きょ就任した。1990年度に大東大の監督として史上初の学生駅伝3冠に輝いてから30年。大東大監督を退任した2000年以来、20年ぶりの現場復帰だった。日大OBでもある大ベテランの青葉監督は東京・稲城市の選手寮内にある監督室に住み込み、約60歳も年下の学生と暮らした。練習メニューに「縄跳び」が取り入れられることがあったが、チーム強化につながらず、昨年の予選会はチーム史上ワーストの18位で大敗した。


結局、青葉監督は今年の3月末で退任。就任から、わずか10か月のことだった。



後任として小川聡監督が就任した。日大OBの小川監督は、1990年代前半はコーチの肩書ながら、実質的な監督として日大を率いた。横浜銀行女子監督に転身した後、01~08年、13~16年に日大監督を務めた。今回で事実上、4度目の登板だった。小川監督は、元長距離ランナーには見えない大柄な体格がトレードマークの親分肌。しかし、チームを立て直すことはできず、2年連続で予選会敗退となった。


2010年以降で、小川監督は延べ6人目の指揮官(実質的な監督のコーチを含む)。その間、強化方針が何度も変わり、日大は低迷を続ける。名門復活の道のりは、あまりにも険しい。

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